いとうせいこう「業界こんなもんだラップ」について(註釈無しの大雑把な考察) [音楽]
いとうせいこうが京都に来て、日本語のヒップホップについて講演をするんですって。
昔からいとうせいこう大好きっ子なので行きたいけれど、近い日に臨時のお休みと
早閉めの日がある。そんな頻繁に早閉めするわけにもいかないので、行けそうにない。
日本のヒップホップが、路上レベルでいつから始まったかを知るのは難しいけど、
いとうせいこうは、最初にヒップホップのレコードを出したという意味で、日本のヒップホップの
オリジネーターとして紹介されることが多い。ぼくもそう思う。
CDで手に入る&アルバムということで、86年「建設的」、89年「MESS/AGE」が紹介されるけど、
85年「業界くん物語」に収録されている、「業界こんなもんだラップ」がその起源とされる。
この曲でいとうせいこうは、ラップではなく、ヒップホップをやろうとしている。
81年にスネークマンショーが、「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」を出してるけど、
この曲は、80年のラジオ放送ではシュガーヒルギャングの「ラッパーズディライト」をバックトラックに、
81年の発売時にはブロンディの「ラプチュアー」を下敷きに作られている。
技術的にはドリフの早口ことばとそんなに違わず、ラップであってもヒップホップではない。
それに対し「業界~」は、Z-3 MC'sというグループの、「TRIPLE THREAT」という曲から
インスパイアを受けて作られている。そっくりそのままって訳じゃないけど、元にはなっている。
「ラッパーズ~」や「ラプチュアー」は当時大ヒットしたので、ちょっと音楽好きの日本人なら
誰でも知っていたかもしれないけど、Z-3 MC'sは、当時ヒップホップ好きな日本人(自体が少ない)
でも知らん人が多かったと思う。今のヒップホップの言葉で言うとマイナーミドルになるのかな。
この頃すでにRUN DMCが視界に入ってきてたはずなのに、何故にそんなドマイナーな
曲を使ったのか?これは長年の疑問だ。だって、誰もどこにも書かないんだもの。
この少し前に、スネークマンショーの桑原茂一プロデュースで、ヤン富田、いとうせいこうらが、
ハードコアボーイズという名義で12inchを出したけど、著作権の問題で発禁処分になっている。
このこともあっていとうせいこうは、「業界くん物語」はレコード自体は企画物やけど、冒頭の曲で、
日本のヒップホップはここから自分達が始めるんだという意志を持って、録音したんじゃなかろうか。
あえてマイナーな曲を使うことで、日本にもリアルタイムで、向こうのヒップホップに呼応している
人間がいるということを示したかったんじゃないやろうか。
意志と意欲と意図があったという点で、「業界~」が初のヒップホップだと、ぼくは考えている。
(追記:それ以前に、佐野元春なんかは、N.Y.でグランドマスターフラッシュを聴いてラップの
曲を作ったりしているのだけどね。他にも、お笑い芸人さんのレコードでラップっぽいのはあった。
ただ、HIPHOPに対して自覚的だったのは、いとうせいこうが最初だと思っているわけであります。)
何故Z-3 MC'sなのか?とともに、誰が使おうと言い出したのか?も気になる。
いとうせいこうなのか、作曲のヤン富田なのか、それとも、当時一番頻繁にロンドン・ニューヨークに
行ってたやろう藤原ヒロシもしくは工藤昌之(MELON)が仕入れてきたのか。
それとも、結構日本にも入ってきてたんやろうか?
てなことを、誰かいとうせいこうに聞いてくれないでしょうか。どうでもいい話ですか?そうですね。
↓で、これが「業界くん物語」。基本的には、スネークマンショーのようなコントレコード。
ビデオ版は、不景気の現代ではまず予算が出ないような内容ながら、
ラジカルガジベリビンバシステムの他、髪がフサフサあったテリー伊藤、
戸川純、甲田美也子に高橋幸宏などなど、豪華な出演陣。
一番はっちゃけてるのは坂本教授やった。

昔からいとうせいこう大好きっ子なので行きたいけれど、近い日に臨時のお休みと
早閉めの日がある。そんな頻繁に早閉めするわけにもいかないので、行けそうにない。
日本のヒップホップが、路上レベルでいつから始まったかを知るのは難しいけど、
いとうせいこうは、最初にヒップホップのレコードを出したという意味で、日本のヒップホップの
オリジネーターとして紹介されることが多い。ぼくもそう思う。
CDで手に入る&アルバムということで、86年「建設的」、89年「MESS/AGE」が紹介されるけど、
85年「業界くん物語」に収録されている、「業界こんなもんだラップ」がその起源とされる。
この曲でいとうせいこうは、ラップではなく、ヒップホップをやろうとしている。
81年にスネークマンショーが、「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」を出してるけど、
この曲は、80年のラジオ放送ではシュガーヒルギャングの「ラッパーズディライト」をバックトラックに、
81年の発売時にはブロンディの「ラプチュアー」を下敷きに作られている。
技術的にはドリフの早口ことばとそんなに違わず、ラップであってもヒップホップではない。
それに対し「業界~」は、Z-3 MC'sというグループの、「TRIPLE THREAT」という曲から
インスパイアを受けて作られている。そっくりそのままって訳じゃないけど、元にはなっている。
「ラッパーズ~」や「ラプチュアー」は当時大ヒットしたので、ちょっと音楽好きの日本人なら
誰でも知っていたかもしれないけど、Z-3 MC'sは、当時ヒップホップ好きな日本人(自体が少ない)
でも知らん人が多かったと思う。今のヒップホップの言葉で言うとマイナーミドルになるのかな。
この頃すでにRUN DMCが視界に入ってきてたはずなのに、何故にそんなドマイナーな
曲を使ったのか?これは長年の疑問だ。だって、誰もどこにも書かないんだもの。
この少し前に、スネークマンショーの桑原茂一プロデュースで、ヤン富田、いとうせいこうらが、
ハードコアボーイズという名義で12inchを出したけど、著作権の問題で発禁処分になっている。
このこともあっていとうせいこうは、「業界くん物語」はレコード自体は企画物やけど、冒頭の曲で、
日本のヒップホップはここから自分達が始めるんだという意志を持って、録音したんじゃなかろうか。
あえてマイナーな曲を使うことで、日本にもリアルタイムで、向こうのヒップホップに呼応している
人間がいるということを示したかったんじゃないやろうか。
意志と意欲と意図があったという点で、「業界~」が初のヒップホップだと、ぼくは考えている。
(追記:それ以前に、佐野元春なんかは、N.Y.でグランドマスターフラッシュを聴いてラップの
曲を作ったりしているのだけどね。他にも、お笑い芸人さんのレコードでラップっぽいのはあった。
ただ、HIPHOPに対して自覚的だったのは、いとうせいこうが最初だと思っているわけであります。)
何故Z-3 MC'sなのか?とともに、誰が使おうと言い出したのか?も気になる。
いとうせいこうなのか、作曲のヤン富田なのか、それとも、当時一番頻繁にロンドン・ニューヨークに
行ってたやろう藤原ヒロシもしくは工藤昌之(MELON)が仕入れてきたのか。
それとも、結構日本にも入ってきてたんやろうか?
てなことを、誰かいとうせいこうに聞いてくれないでしょうか。どうでもいい話ですか?そうですね。
↓で、これが「業界くん物語」。基本的には、スネークマンショーのようなコントレコード。
ビデオ版は、不景気の現代ではまず予算が出ないような内容ながら、
ラジカルガジベリビンバシステムの他、髪がフサフサあったテリー伊藤、
戸川純、甲田美也子に高橋幸宏などなど、豪華な出演陣。
一番はっちゃけてるのは坂本教授やった。

2008-07-09 23:15
nice!(0)
コメント(0)








コメント 0